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じぶんの髪型のモデルチェンジで半生くらいの歴史を振り返ってみた

仕事とか病気の盛り上がりとかでしばらく散髪に行くタイミングを逃してて、せっかく伸びたから次はどうしようかなとか妄想。そういえばこれまでどんなのが似合ってたのか振り返ってみようかなあとか思い、Google Photos のなかを探してみると15年前くらいまで見つかったので、当時のようすとかよく聞いていた音楽と合わせて、すこしエモい気持ちでプレイバック。

おわりに、ヘアケアグッズもまとめてみました。

2007

18歳、自宅にて

17歳の終わりくらいから高校の近くでひとり暮らしを初めて、料理やMacや宅録を覚えた少年。ウルフカットをベースにして、強めのぐるぐるな乱暴なパーマの茶髪を適当に硬いワックスでバサバサさせてる。髭はまばら。

バンプ世代なのでギターはTVイエローのレスポールスペシャル。服はCIAOPANICとかを着てる気がする、Base Ball Bear がイケてる時代だったので、こんなファッション。

よく言う、「お金以外はすべてがあった」な時代。マー君は楽天へ、ハンカチ王子は早稲田へ、ぼくはおしゃれな響きのコードを探していた。

時代は mixi、友達の紹介文を書くのが楽しかったあのころ。親指の色がおかしいのはなんだろうね。

2008

19歳、BIGCATにて

はじめて大きいライブハウスでギターを弾いているようす。マッシュルームをベースに強めのパーマを被せてて、引き続き顔が見えないこのかんじ。これくらい髪の長さがあると、動きにいろいろパターンと躍動感が生まれるから、ライブ映えしてくれて気に入ってたはず。

衣装は和歌山の演歌バンド SEGARE のTシャツに袴パンツを履いてる。きっと当時のアジアンブームが反映されてるようす。まだ筋肉質な腕は、バスケ部だった頃の遺産。

同じ小学校の青山テルマの曲が世の中に溢れていたり、 人のセックスを笑うなを観て永作博美がすきになったり、オードリーが登場したりした。Twitterをはじめたのはこのあたり。

2009

20歳、蟹を食べる

令和は18歳からが成人らしいけれど、太古のむかしでは、もう2年必要だったんだよ。すごく好きというわけでもないけど、蟹があればお祝いムードは伝わるよね。髪も、蟹が似合うオレンジのツイストパーマになっている。

この頃はほんとにお金がなくて、家の電気が止まった状態で、東京行きの2000円の深夜バスでギターを抱えて乗り、ツアーをして帰ってきたら、今度はガスが止まっていた。バイト先のコンビニで携帯を充電して、銭湯を店長に奢ってもらって、そのまま夜勤のシフトに入ったっけ。

けいおん!が放送されて、ちょっとしたバンドブーム、その世界はキラキラしてるみたいだった。約束通り Syrup16g が武道館で解散して、チケットもなく駆けつけたのに入れた。泣いて泣いて見届けた。

2010

21歳、大阪MUSEにて

当時所属してたバンドを抜けるときのライブ。短めのマッシュに長持ちする強めのパーマを当ててるかんじだと思う。色は引き続きオレンジでこの頃はワックスでぐしゃぐしゃっとしてたような。この頃からスキニーにだぼっとした服を合わせるのが定番になり、今へ続いていくことに。

ギターはゴールドのテレキャスがメイン機になって、たっぷりモジュレーションを効かせた縦横に揺れる音をステレオで爆音で鳴らしてた。このライブ、いい音がしてたって言ってもらえて嬉しかった。最初と最後が最高のライブができるっていう言い伝えがあって、バンドやグループを推しているなら見逃せないよね。

平城遷都1300年で盛り上がるせんとくん。車に轢かれたり、仕事を辞めたり、バンドを辞めたり、その他もろもろが一斉に降りかかった大殺界に気付いたのは年末。宇多田ヒカルが最後のライブを済ませ、M-1が終わった。


2011

22歳、草間彌生 永遠の永遠の永遠にて

このころマッシュパーマは変わらずだけど、毛量をカバーするために刈り上げが定番になった。髪は染めずに黒髪に移行したい気持ちになってくる。変なデザインのTシャツを着るのがブームだった。これはネネットかな。

この草間彌生展を観た以降、美術館が好きになってあちこちチェックしたりするようになった。時間を作って瀬戸内海を旅するようになったり。生きた証が凝縮されて、平面に文脈がぎゅっと圧縮されているエネルギーに圧倒される気持ちよさを知れて、ほんとによかったなあ。

夏が暑く長かった、秋分の日、長らく過ごしていた奈良を離れて大阪に引っ越すことになった。

「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」

みんなに嫌われるくらい好かれるということを知る夏だった。新しく、じぶんで歌うバンドを始めることにした。

2012

23歳、大阪城でお花見

まんまるゆるふわマッシュの右側に触手が生えてる、魔改造を施されたバージョンに謎進化。これシアバターを揉み込みながら乾かすだけでいい感じになってくれて結構楽ちん。

20代の最初の方は緑がすきで、よく着てたのかも知れない。Nikon の一眼レフが重くなってきて、Pen を買ったみたい。

大阪城の桜はきれいで、わいわいできるところもたくさんあって、思い出がたくさんある。とくに取り止めもないから、楽しかったってことだけ覚えてるなあ。

地震があった日はライブだった。楽屋には東京から来ているバンドや仙台に実家がある人もいて、それどころじゃなかったけれど、なんとか平穏に過ごそうとそのままライブが決行された。あんまり記憶がなくて、でもみんなでいること、話していることでしか安心できなくて、遅くまで過ごした気がする。

2013

24歳、企画したライブにて

触手は一体化して、サイドにボリュームたっぷりの外ハネマッシュに。前髪はぱっつんで短め。後ろと前を短くしておくと、サイドが重くても軽やかな感じになって、ふんわりホイップみたいな見た目になるのが気に入ったらしい。

この黒の名もなき古着の変形ワンピースは年中よく着ていて、ヴィヴィアンの灰皿をいつもぶら下げてた。

この頃は年間100本以上のライブ、イベントの企画、ツアー、レコーディング、休みなく動き回って音楽しつつ、治安悪めな古本屋でバイトしてたくさん漫画を読んでた。進撃の巨人が謎に満ちていてよかった。

Syrup16g が帰ってくるのを見届けた。ぼくも弱くても強く生きていたいと思った。

2014

25歳、水月堂にて

前髪のラウンドを綺麗につなげて、丸さ際立つシンプルなつやマッシュに。この時期は楽器屋さんで毎日スーツを着て接客してたので、髭もつるんと剃ってる。

Veritecoeur のワンピースは着心地よくて、着ると軽いのにちゃんとどっしりした雰囲気があって、肌触りが最高。手に持ってる D50 は高3のとき初めて買ったカメラ。

奈良公園の大仏とか春日大社とかメジャーな観光地もいいけれど、ぼくのお気に入りは、水月堂と二月堂。静かでのんびりできるお茶屋さんとかもたくさんあって、奈良公園の散歩は捗るんだよなあ。

この頃から急に家具を作ることを覚えて、ギターじゃなくて、ノコギリやらドリルやらペンキを塗ったりする時間が増えた。身の回りのものや友達に作ったりしてる間になんとなく広がっていって、お店に置いてもらったり展示会を開いたりすることに。じぶんの手だけで、ふだんの生活がすこしだけ、しっくりいい感じに彩られる感覚が気持ちよくて楽しかった。

細胞があったりなかったり、いいともが終わったりした。じぶんの手のひらですきな音楽を作ったり、すきな歌を歌えそうな自信がでてきた。

2015

26歳、友達の披露宴のチェキ

眉が見えるななめな前髪のマッシュ。ほとんど眉が出るような形にしないからかなりレア短さ、この15年間で一番短髪だとおもう。髭もないのもあるけどなかなか幼い感じだなあ。

着ているのは Tumorichisato のドレスシャツ。いまもコレクションが終わってしまったツモリのシャツを粛々と mercari で集めたりしてる。

はじめて友達が結婚して、高校のクラスメイト同士だった。

カレーパンマンに似た新郎と、ドラマーの新婦に、手作りの椅子をプレゼントした。ぼくはその頃(高2)クラスの室長をやっていたのに、3学期不登校で丸々来ない青い暴挙に出たのに関わらず、誘ってくれて嬉しかった。会場にいた懐かしいみんなに「来そうにないと思ってたのに〜(よかった)」って言ってもらったりして申し訳ないなあとなった。来ていないやつもいた。

できるだけ当時のテンションでふざけようとしたりした。みんなそんな感じだった。あれから10年近く経っているのに、高校生みたいな顔をちゃんとしていた気がする。

新郎は2回振られて3回目の告白でなんとか渋々OKされたのは周知のはなし。大学も就職先も一緒。2人はアメリカに渡り、子供が3人生まれて、賑やかに過ごしているみたい。夢見たいなはなしの大事な瞬間に集まれてしあわせだった。

バンドが解散することになって、なにをやればいいのか下を向いたり、すこし鬱々とした日々を過ごしたり、ラジオを聴いたり、新しいことを始める決意をしたりした。

2016

27歳、内定が出たあと、もつ鍋屋さんにて

ベーシックな平凡なゆるいマッシュ。これは就活中の図、なのもあって変哲のないきれいな丸スタイル。耳たぶがぎりぎり出るくらいの長さで丸く繋ぐのが好みなので、これはこれですきなんだよなあ。

このころから真鍮を身に付けたり小物を見つけたりするのが流行ってたのと、シャツの丈が短くなってユニクロのリネンを年中着てた気がする。

シン・ゴジラが公開され、はじめておなじ映画を3回観た。映画館が赤く染まるシーンの絶望に釘付けになった。庵野監督の意地悪さがすきになった。

引きこもってパソコンに向き合いひたすら修行、ハローワークに通って奇跡的に内定をいくらかもらって、デザイナーの門出に喜んでわいわいしているところ。人生なのか運命なのか進路なのか呪いなのかなんなのか、レールが切り替わった、そんな瞬間。

もしかしたら、頑張ることが得意かもしれないと思った。

2017

28歳、上京前のUSJにて

髪を切る時間を作るのがむつかしいのもありつつ、パーマとセンター分けなサーファーになってしまっていた。というのも、このころ担当してくれていた人が移動してしまい、サーファーのお兄さんになったのが一番の理由かもしれない。あまりにもそれだったので、ポイントカラーをリクエストしてお茶を濁そうとしたけど、それもそれっぽい。

冬は大判のストールをぐるっと巻いて、ヒートテックに適当なシャツを重ねて上着を着るのが定番。見た目以上に暖かい Zucca のコットン裏毛は今もよく着てる。

コールドプレイが東京ドームにやってきた。じぶんの知ってる、じぶんが作ってる、じぶんが楽しんできた、音楽とはかなり違ってた。心と身体に同時に振動が何万人に染み渡って、言葉はどの世界でも伝わらなくてもよくて、すべてをひとつに、を、たった4人で叶えてしまう人間の可能性に感動して、怖さと神々しさと夢と。代替エネルギーで移動できるような未来が来ないと大規模ツアーは今後しないらしい。ので、日本ではこれが最後になるのかもしれない。日本じゃなくても、一度は観てみてほしいって勧めたい、唯一無二な体験だった。世界一までいくと同じ世界ではないんだね。

デザイナーの生活が始まると思っていたら、エンジニアになっていた。おもしろいの本場は東京で、人も仕事もお金も、すべてがそこにあるらしい。たっぷり大阪を吸い込んだあと、いつも通りな深夜バスに乗り込んで、上京する。

緑がたくさんな三鷹暮らしがはじまる。

2018

29歳、神社にて

先に上京してた美容師さんに再度お願いすることになり、マッシュを復活することができた。ポイントカラーを残した、完璧なキノコ。しめじからもやしが生えているようだ。このころから口髭ができた。

l'atelier du savon のコートと、Ne-net の動物柄のワンピース。リュックはrains のおおきいやつ。毎日自転車なので雨に強いリュックが嬉しい。

会社を作ったけど、卒業することになった。最後の作品がメディアに露出したりアワードを受賞して、20代の目標に滑り込みでタッチ。そして、新たなる冒険のはじまり。

宇多田ヒカルが久々に帰ってきた。20周年千秋楽の最後のアンコールの automatic が素晴らしかった。人生そのもの、生き様が詰まっていて、くらくらした。何世代と受け継がれてきた魂と運命が暗闇のなかで輝いてた。

カメラを止めるな、まだ観てないや。

2019

30歳、VOGUE JAPAN 20周年パーティにて

なんとなく髪をこつこつ伸ばしたくなって、いまどきなマッシュウルフに。後ろはインナーカラーで青にしていて、抜けて変化してくときにきれいな緑になっていくのがいい感じだった。

Y’s for living のロングシャツ、着丈が 120 くらいあってびっしりボタンが着いてて、布を無造作に取ってきて纏ってるかんじがすごい気に入ってる。長袖で素朴でいてかっちりしていて、こういうのが好みなんだけど、この質感をなかなか見つけられなくて、なやみ。

新しい会社には100年の歴史があって、続くことの途方もなさと美しさに、ときめいたり緊張したりワクワクしながら、激しく根性論で汗水垂らして飲むシャンパンは、うまい。

イチローがお別れをしにきてくれたり、令和という美しい言葉が発明されて、平成が終わらないままで新しい時代がはじまることになった。悲しい事件があり、募金した。

2020

31歳、コロナの隙間のディズニーシーにて

誕生日に始まった自粛要請、美容室もはじめは開いていなくて、気付けば肩甲骨くらいまで伸びていて、再開をのんびり待ってから断髪。前髪から真っ直ぐ繋がるくらい、久々に耳が見えるようにざっくりと。短いのでコテでちょっと癖つけたりするのがよさそうだった。

明るい気持ちになりたいときは、この Tsumori Chisato のマラカスシャツ。これ着てると、派手シャツだね〜って声をかけてくれる人がおおくて嬉しい。かわいい服を着てると、コミュ力を補助してくれて話しかけられ率が高まるのがいいよね。マルジェラのリングを買った。携帯のケースはヒグチユウコ。これはほんとうのお気に入り。

covid-19 の時代が始まって、終わらない。自粛要請の初日は誕生日だった。ちょっと落ち着いたとき、はじめてディズニーシーに、パレードやショーはなくて、ミッキーは遥か彼方、祭りのない厳かなディズニーだったけど、楽しかったな。美味しいものもたくさんあって、レストラン櫻がいいぞ。

BTS が異次元にかっこいいのを知り、Bruno Mars の登場くらい衝撃を受けた。ちょっと乗り遅れながら、Dynamite を歌うのにハマる。

2021

32歳、百々とゆうと

どんぐりのようなゆるいラウンド前髪のマッシュ。対象年齢低そう。いつも後ろとかサイドを刈り上げていたのを、このころから刈り上げないクラッシックなスタイルで行くことになった。髭の脱毛をググったりしてる。

ゼルダに出てきそうな縄文柄の Zuuca のシャツ。こういう呪術的なやつもかわいい。前から住みたいなーと思ってた、グッドデザインなメゾネットの四角いおうちに引越し。駅前になったり、緑道沿いになったりして、散歩や食事も捗る立地で、コロナ生活が明るくなってよかった。

note に求職記事を書いて、note に入社した。リモート環境は転職活動しやすくて、サイトに登録したり馴染みのエージジェントにお願いしたり、20社くらいに面談や選考してもらえて、日本の雰囲気を知らなかったからそれ自体もすごい勉強になった。入社して、それなりに戸惑いながら手探りながら楽しみながら、おもしろい機能を作ったのを区切りにして、UXエンジニアと名乗ってデザインシステムを作ったりする不思議な人に転身。細々とみんなを支える仕事が好きなじぶんに合っていて楽しい。

ついに家族が増えた。東京に出てきてからはずっと猫と暮らしてなかったけれど、念願の出会いは突然にだった。寒い国からやってきたサイベリアンの百々とつくも(九十九)、できるだけ幸せにのんびりと生きていて欲しいな。ぼくも見習って幸せになりたい。

史上最高に野球がうまい人が日本人らしい。誰よりも一生懸命で楽しんでるようすが最強を物語ってる感じがして、だれかの自己肯定感を上げてくれる。ぼくも一生懸命楽しんでいたい。

縁に縁が重なり、家を買ってみた。

2022

33歳、森林公園にて

どんぐり型をちょっと前下がりにして、さらにレトロ感を増したマッシュ。気怠くて根暗だけどカチッとしているところがお気に入り。カラーもパーマもない完全黒髪は3年経過して、艶髪がかなりいい感じに育ってきた。シャップーはコタセラで、ドライヤーはダイソン、ブラシはメイソンピアソン、このヘアケア三種の神器で髪質は鉄壁に守られてる。

夏によく着る nest Robe のひらひらロングシャツ。真夏も長袖を着たいから、これくらい薄くてさらっとした着心地は、散歩にちょうどよくて嬉しい。ビルケンはボストンとモンタナを集めてて、ソールを何度も張り替えて頑張ってもらってる。長いのは10年くらい履いていたり。輸入すると向こうにはいろんなカラーがあったりして集めるのが楽しい。デニムは Ne-net のサルエル、こういうむかし流行って廃れてしまった形のやつ(たとえばダブルループとか)が好みで集めてしまう。

なかなかお花畑に行けていなかったのをようやく解禁できたようす。Leica Qは等身大でいてくれる散歩に最適なカメラですき。できることはそんなに少ないけど必要なことはなんでもぽちぽちかりかりと直感的に操作できるのが優しくも玄人で嬉しい。


そして、現在

(20220731 現在)
歴史を振り返ったのとは関係なく、ストレンジャーシングスS4のマイクの髪に憧れて、久々にパーマスタイルになった。美容師さんに「S3じゃなくてS4のマイクだよね?似合いそう〜」って、やりたいイメージが瞬時に伝った。すごい。

ストレンジャーシングスの考察話で盛り上がった後は、MCUの考察で盛り上がって、最後はONE PIECEで締めた。

渋くツルッとしたシンプルなマッシュに最近はこだわってきたけど、ちょっと若返るし、セットとかお出かけに強いパーマやっぱいいなと大満足。ちゃんとマイクになるには長さが足りないから、暑さに負けずちょっと伸ばしていく予定。

番外 : 1991

2歳、誕生日

なんと、そんなに大人時代と変わっていない2歳児のヘアスタイル。

2歳の誕生日に1としているのは、ピースの手の形ができないから。写真を見てくと、4歳ぐらいまではこんな感じで安定してなかったっぽいみたい。不器用なのは生まれつきということで謝っていきたい。

おわりに、ヘアケアまとめ

振り返ってみると、行ったり来たりしながらマイナーチェンジして、いろんな世界と身の回りの変化に対応してたなあとなりつつ、かっこいいとかさわやかな印象のやつはあんまり得意じゃなくて、やぼったいけどきれいなシルエットとかレトロな印象なのが似合ってそうな感じがする。

おわりに、むかしからそんなにヘアケアを変えずにつや髪をキープできてて、たまに褒めてもらってにこにこしてしまうから、そのまとめ。

基礎のポイントは、長い時間をかけていい感じの頭皮の状態を育てると、真っ直ぐでつやつやの髪になってくる実感があって、ともかくまずシャンプーを上手にやることがすべての土台な気がする。あとは、落ちにくい整髪料を使わないようにしておくのも大事そう。

シャンプー コタセラスパ

シャンプーとトリートメントはコタセラシリーズを使ってる。泡立ちにくいシャンプーは予洗いをしっかりするとちゃんともこもこになったり、3パートくらいに分けて洗うと、きれいに泡立って汚れが取れて、髪もうるうるになってくれる。

カラーとかで髪が傷んでるときは、トリートメントをコタの違うシリーズに切り替えて使うこともあったり。ちょっとお高めなシャンプーはまとめて買ってしまうと、かなり割安に。この量でだいたい1年半に1回くらい。

ドライヤー ダイソン

ドライヤーはダイソン一択。最強の風速で最速で頭皮を乾かしておきたいとなると、ダイソンしか比較するものがないくらいつよい。パーマスタイルとかで使いたいアタッチメントとかも充実してて、マグネットでパチっと着脱しやすいのも推せる。

ヘアケアとは別に、一瞬で髪の毛が乾く体験は、毎日続くあたりまえの幸せになってくれるから、頑張って課金して大正解になるはず。

ブラシ メイソンピアソン

何年か前まで櫛とかブラシを気にしたことなかったんだけど、ストレートのマッシュが定番になってきて、なんとなくストレスが溜まったときに衝動買いしてしまったこのブラシが最高だった。

その世界では有名らしいので、たぶんだれにとってもハズレはなさそう。ちょっと雑にドライヤーで乾かしていても、これでピシッと真っ直ぐになりつつツヤも出てくれる。ブラシって絡まりを無くしたりするものだと思っていたんだけど、髪にツヤを出して束感を作ってくれるって初めて知れて感動した。

これもちょっと高いけれど、ちゃんとお手入れしていれば、一生使えるものらしいので、はやく買っておけば実質タダになる。そういえば、衝動買いしたと書いてしまったけれど、KITTE の THE SHOP で丁寧に接客してもらって買ってしまったんだった。

ヘアミルク リケラエマルジョン

ドライヤー前にヘアミルクとして使ったり、朝のセットのはじめとかに使ってる。適度に水分を含んだ雰囲気でまとまってくれて、絡まりにくくなるのがいいかんじ。Matt が VOGUE のフルメイク動画でおすすめしてたのを試してみたらかなりよくて、こちらも大量買い。

ヘアオイル ベビーオイル

髪を乾かしたあとに、パサついてる度に応じてベビーオイルを毛先中心につけてる。だいたいこれでいい感じのツヤがでて保湿もやってくれるし、ベビーオイルは身体のどこにでも使えて万能薬なので、Amazon定期便でリピートして自動化してる。

ボトルのポンプに難があって使い切る前に壊れることが多いから、無印のポンプに詰め替えるように。先述のヘアミルクと合わせると、デザインもミニマルになっていいかんじ。

お出かけするときはちょっといい匂いにしたい気持ちになるので、みんなのそれぞれ好みのオイルをつけると思うんだけれど、LISARCH のエブリシングオイルがすきで、これが定番になってる。

ヘアバター LISARCH 01

緩いホールドでツヤだけ出したいときは、このヘアバターだけで済ませることがおおい。ラベンダーの香りがいいかんじ(ゆずもある)なのと、どこにでも使える成分なので雑に気持ちよく使えるのですき。

ワックス OWAY shabby mud

ホールド力はそんなにないけれど、軽くまとめたりさっと直せるくらいの質感で使いやすい。シャンプーのときに洗い流しやすいのがいいのと、香りがオレンジなのもめずらしくてすき。このオレンジの香りが子供の頃大好きだったハーゲンダッツのオレンジ&クリームに似ているのも個人的に推せるポイント..


おわります。


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