note上場に寄せて、そして父になる。
本日 note 株式会社が上場し、VI リニューアルを行いました。ささやかですが、カラーやロゴの変更で作業に関わらせてもらいました。ますますこれから頑張っていきたいきもちです。
そんなお祭りの片隅で、個人的なドラマがあったので、息子に手紙として書いておきたいなと。
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2018年春、代官山のシェアオフィスで作業してたぼくは、渋谷からの坂道の箸休めに蔦屋によく寄り道していた。デザインや web 系の本を手に取ってコーヒーを飲みながらページをめくっていると、目線の先に、白く、本棚が切り取られている場所があった。
「デザインのデザイン」はいつ読んだだろう、新刊「白百」がそこに刺さっている。手に取って、まえがきを進めていくと、最後の一節が次のように締められていた。
原研哉のファンだったぼくは、いつの間にか彼のデザインに触れていて、その先に彼がいる、というかんじで出会っていた。はじめてはきっと無印良品だったはず。もっというと長野オリンピックとかになってくるんだろうけど、高校生のときはじめてデザインに、「いけてる」って感覚を持ったのは無印だった。
高校のそばに SEIYU があって、そこによく通ってた。地元は奈良の田舎だったからなんにもなくて、ほんのちょっと都会の離れた学校に通った。なにかから脱出したかったあの頃、音楽を作り始めていたとき、そういう感覚に出会って嬉しかった。いつだったかちょっと調べると、原さんが無印でアートディレクションを始めたのは、2002年って出てきた。ぼくが高校生だったのは2004年。運がよかった。
その先には…. まあかなりいろいろあって、ぼくもデザインの世界にやってきた。そういえば、この蔦屋にも上京前、できたての時から通ってたような。そんな彼の作品の下で、彼の作品を読んでいる。
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とかなんとか、思いがぐるっとしながら、この一節に激しくときめいた。まえがきの終わりにふさわしい、静かな高揚感。それでいて、この本のすべてをここで示しているような侘しさもある。ことばにしてしまうと、ほとんど意味が失われてしまうはずなのに、まるで語る必要のない、美しいことばで、日本語だった。
もし、自分が子を持つことになって、名つけることになったら、このことばに習おう。「一と白」で「ちしろ」。きっとだれでも、生まれてはじめてのプレゼントは名前になるんだから。まっさらなはじまりをプレゼントできるんじゃないかな。それで、いつか、それを振り返られるような、暖かな濁りがあって。
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そして
2022年2月、妻が妊娠検査薬を両手で持って、こっちにやってきた。ぼくはぼくの死を想像していた。もう、じぶんのために生きなくていいからだろう。だれかのために生きなくてもいいからだろう。だれのために生きるのか、決まった瞬間だった。
2022年8月、CDO の宇野さんからクイズ形式で、原研哉さんの NDC が note のリブランディングを担当する、と発表があった。みんながわいわいチャットに書き込んだ名前で、いちばんありえない温度感だったのが「日本デザインセンター」だった。マジで夢だと思った。「感動しています」とかなんとか震えながら言って ZOOM を閉じたあとも、次の日までは夢だと思えた。
まるで、縁はコントロールできるような気もするし、できないような気もする。運命はあるような気もするし、ないような気もする。じぶんの選択をじぶんで選べているのか、どうもわからない。結果論っていえば、どんなことにも価値がありそうだ。些細な出来事が、きっと、いつかの感動に繋がるかもしれないし、そうでないかもしれない。だから、信じることだけが自由だ。
まあそんなことで、原さんの言葉を胸に秘め、お腹の子どもにプレゼントしたら、原さんが現れて、note を新しくしてくれたんだよね。
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君の名前は、ぼくがいちばん尊敬するデザイナーの、勇気の言葉。きっと、百年過ごすことになるだろう、ひとつひとつの白を重ねたその先の景色を楽しみに、よかったら、生きてみてください。
2022.10.07 誕生
臼井 一白(うすいちしろ)