Joker (2019 film)
じぶんがすきなビジュアルがあって、じぶんのすきな映画があって、じぶんのすきな音楽があって、そういうのの、色合いとかムードを共通点として取り出して、ちゃんとじぶんと結びつけておきたい、とおもった。
それがじぶんの不都合なら。
ジョーカー、病気か正気か狂気か、それが混じり合って、刻一刻とそのバランスがわからなくなる、あの表情とダンスが美しかった。
たいせつなひとの、病気も正気も狂気も、受け入れられるんでしょうか。たいせつなひとがいなかったら?
ロバートデニーロがだんだんと醜悪に見えてしまったとき、じぶんの正義の座標みたいなのを、知ることになってしまうあの感じは、なんなんだろう。
そして、最後のちゃぶ台ひっくり返しは、痛快で痛烈だった。喜劇としてしか語れない地獄、ちゃんと現実世界に引き戻すところまでが、映画に含まれていて、やさしいよなあと。
いのちには、いろいろな輝きかたがあって、角度を変えるだけで、変えてしまうだけで、その評価したひとの立場が、わかるかもしれない。どうせなら、いろんな角度から眺めて、それを受け入れられるひとになりたい。
でも、想像力を浅く停止すれば、楽だとおもう。でも、想像力は思いやりだと信じたい。思いやりは、忖度かもしれないし、お節介かもしれないし、ステレオタイプかもしれない。でも、思いやりが美しい世界で生きてみたい。
タイムカードのマシンを壊すところ、あれは正気だったのかな。
"You wouldn’t get it."