見出し画像

20190630 - 紫陽花のゆくえ

半年がすぎます、下半期。けれど夏は主役の季節なような気がするので、暑さが落ち着いた10月ころからが後半な気分。なので、そういう感覚のおかげで、1年って短すぎないか、ってなるのかなあ。

って7/1に、そんなこと考えてたはずなんだけども、10日間がすぎている。夏休みは大人になってからはないけども。あれをないものねだりしたところで、一瞬ですぎてく夏の一部でしかないんだよなあ。と思うと、ほんとうに必要なものというか、気休めのリポビタンDみたいな感覚のやつなんだったら、ちょっとそんな妄想より平常運転を、もうすこし濃くどうか生きようとか。

紫陽花は時期が少し経って、色がぬけていくころの姿が美しいとおもっていて。なんだけど、道端の、公園の、あちこちの庭に顔を出してるのも、たいていその時期に刈り取られてしまう。あの熟れごろの、淡くて儚いかんじをおさめておけるのは、1週間くらいしかないんじゃないでしょうか。ということに大雨の日にレンズを絞っていて考えいたり。

オリンピック、フェス、海、もちろん興味や憧れやわくわくは、人並みにあるんだけども、人波は避けるようになってしまったなあと。

旅に出たいあの身軽な感覚と計画に縛られるかんじが心地いいのは、普段荷物を持ちすぎているからなのかなあ。こんまり、流行っているこんまり。いらないものやリュックに入らないものを手放せば、旅をしている気分になるんでしょうね。だからこそ、家にはムダがあってほしいなあとおもう人です、まだ。

安定したり繰り返しのなかで、すこしずつ変化して、積み上げていく作業が心地いいので、大きな変化は疲れます。席替えとか。そのくせ、無知が埋まっていくのは心地いい。自分の内側を通り過ぎていくことが落ち着くんだよなあ、たぶん。

-

おやすみなさい。